やんごとなきお方の方ではなくて、ちょっと古い情報ですが3人のミュージシャンの訃報を。
チェオ・フェリシアーノといえば「サルサのナンバー・ワン歌手」としてN.Y.におけるチカーノの存在をしらしめたチータのライブでもフロントをつとめた一人として忘れられない、黒人系のためのある歌声は、同じ頃注目され始めていたサザン・ソウルに慣れ親しんでいた日本のファンにもすんなり受け入れられたものでした(ホンマっか)。プエルトリコ生まれの彼が注目され始めたのは、いうまでもなくジョー・キューバ・セクステットへの加入からですが、ビブラフォンを取り入れたクールなサウンドが特徴のそのセクステット、チェオ自身、ソロシンガーとしてのアルバムでもビブラフォンをバックに従え、バヤに初めて録音したソロアルバム(右)では、サルサ特有のキレのあるホーンズを加えることなく、「熱い」サルサアルバムを仕上げることに成功しています。
その「熱い」ラテン魂を日本に伝えた先駆者が松岡修造、もとい松岡直也氏でした。氏の名前は知らなくとも「ニュースステーション」テーマ曲の作曲者といえばそのメロディーは思い出されるかも。その松岡氏が1977年に発表したのが「JOYFUL FEET」です。 日本初のオリジナル・サルサとして注目され、アルバム・ジャケットは河村要助氏。たしかファーストプレスはFANIAレーベルだったはずで、写真はリイシュー盤です。
なつかしいですねぇ。全部見ちゃいますねぇw。
で、最後にジェシ・ウィンチェスター。このアルバムはある一定の世代以上のロック・ファンには一種のノスタルジー抜きには語れないアルバムかもしれません。当時、すでに「幻の」という形容詞つきでその存在は知っていても、田舎の高校生が手に入れることなどできるわけもなく、1977年、ワーナー・パイオニアの名盤復活シリーズ第1回のラインナップに加えられて初めて日の目を見ました。ベトナム戦争の徴兵を拒否、カナダに逃れロビー・ロバートソンのプロデュースのもとウッドストックのベアズヴィルから出されたこのアルバム、オリジナルはダブル・ジャケットの4面に同じ本人のポートレイトを配したものでしたが、残念ながら日本盤はシングルジャケットに。数年後のSONYからのリイシュー盤でやっとオリジナルのダブル・ジャケットが実現されました。
いずれのアルバムも高校から大学のころ手に入れたもので、さすがに最近では針をおとすこともなくなっていましたが、訃報に接して久しぶりに聞いてみましたが全く色あせていなくて、むしろみずみずしさを感じます。「せーの」のイッパツ録りではないにしてもサンプリングも打ち込みもない時代のアナログ感覚に満ちたこういう「音」に出会うことはもうないのでしょうか。
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