月別: 2014年6月

How I Miss You Baby

Soul Legend Bobby Womack Dead at 70

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ローリングストーン誌などによると「伝説の」ソウルマン、ボビー・ウーマックが6月27日、70歳で死去したそう。ガンやアルツハイマー病であることはカミングアウトしていましたから突然という感じではないのですが、やっぱり感慨深いものがあります。

アフロ・アメリカンの多くのシンガーがそうであるように、彼もまたゴスペル音楽からそのキャリアを出発させました。バプテスト教会の雇われ牧師だった父親の影響のもと、ボビーと彼の兄弟セシル、カーティス、フレンドリージュニアとハリーは1953年に活動を開始したゴスペル·グループ、ウーマック·ブラザーズを結成。

その後、サム・クックとの運命的な出会いをきっかけに世俗音楽へと傾き、グループ名もヴァレンティノスに変更、サムも深く関係していた当時の新興レーベルSRAにいくつかの録音を残しました。彼の名前を有名にしたのはなんといっても1964年にローリン・ストーンズがカバーして彼らの記念すべきチャートNo.1ヒットとなった“It’s All Over Now”でしょう。ただし、このヒットによって彼の懐にロイヤリティーが「転がり」込むことはなく、後年、同じくストーンズのアルバム“Dirty Work”における“Harlem Shuffle”においてミックとデュエットしていたはずのウーマックのパートが消されていたとう出来事と共にわが国のウーマックファンの脳裏に屈辱的な事件として深く刻まれたものでした。 

と、Youtubeを捜していたら、ストーンズが翌日にはライブでこんなことを演っていたんですね。ま、許してやっか。

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彼の残したアルバムはどれも甲乙付けがたいのですが、この1978年のこのアルバムはよく聴きました!今話題のマスルショールズで製作され、この年亡くなった幼い彼の息子に捧げられています。

野次

いまでこそ、カープ女子なんていう集団から黄色い声援を受けるにいたる広島カープですが、セ・リーグのお荷物と蔑まれていたころ原爆ドームの前にあった市民球場の観客のほとんどは酔っ払いのおっさんかガキンチョでうら若き女性が行くようなところではありませんでした。とにかく毎年Bクラス暮らしが身についていましたから、「巨人の星」でカープの存在を抹殺されたことも気にもならず、東京から来た転校生がかぶってるGマーク帽子のなんと眩しかったこと!

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まあ、そんな球場で選手に放たれる野次もそりゃ辛辣なものばかりで、子ども心にも「こがいなことゆうてもええんやろうか」と思うものも多くあったのですが、その中でみんなをクスっと笑わせるようなウイットの効いたものは拍手喝采を受けていたものでした。その一つが負け試合濃厚になるときまって出てくる「広商に行ってもういっぺん野球を教わってこい」というもので、当時、「夏の広商、春の広陵」っていわれていたくらい、高校野球界における広島県勢の活躍は目を見張るものがあり、それに比較してカープは。。。という状況が理解できてこその「クスっ」であり、その後三村、達川なんていう広商出身者が黄金期を支えるようになったんですから、なおさらです。

このように野次が野次として機能するのは甲子園優勝チームとプロ野球万年最下位チームが対戦したら、もしかしたら高校生が勝つかもしれんと思わせるほど、弱いプロ野球球団の存在と負けるとわかってるのに通い詰めてしまうファンとの微妙な位置関係が内包されているからで、今回の東京都議会での野次は、市民球場で巨人軍の選手へ浴びせられていたその出自に関する心ない野次と同じレベルのものです。しかも身内同士でかばい合い発言者さえ特定できないというていたらく。小学生レベルというと小学生に失礼なので、あえて例えればイグアナレベルか。

コロンビア

キューバ音楽の亜種としてのNYサルサが隆盛を極めた70年代、さらに空間的にも精神的にも拡散をし始めた80年代、プエルトリカンが支えたラティーノのアイデンティティは南米各地に飛び火していく。その着火点の一つがコロンビア・サルサの中心地カリで、まずは最強の布陣で統制の取れたサルサ・バンド、グルーポ・ニーチェに続いて、「ジョエ」こと、ジョー・アロージョがカリブ海に面した都市、カタルへルナから「ソン・カリベーニョ」を引っさげて登場、瞬く間に当時の人気ナンバー・ワン歌手に登りつめました。

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そのころは新大久保にもサルサが踊れるバーがひしめき、胸元を大きく開けたラティーノたちが闊歩して、ここは「ブロンクスか!」ってくらいのものでした。アルベルト・バレスが82年に結成したロス・ティタネスもそんなバーの片隅で見つけたんだったら格好いいんだけど、残念ながらそのころサルサのレコードは、ほとんど池袋のWAVEの中二階、Worldミュージック・コーナーで入手していました。

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彼らの音楽やダンスのリズムはキューバ由来のクラーベが通奏低音として支えています。サッカーのドリブルのリズム、フェイントのステップの軽やかさもこんなところから来てるのかも。こればっかは我々「エンヤトット日本人」には乗り越えようとしても乗り越えられない障壁で、コロンビアの攻撃陣を封じるためにはマヤ君もオープン・ブレイクで彼女を心地よく回せるくらいじゃないとねっ。

ギリシャの魂

Γιώργος Νταλάρας

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ギリシャ語読みでヨルゴス・ダラーラス、ギリシャの魂を伝える男、ギリシャ歌謡の頂点に君臨する歌声は人々の心を揺さぶります。

1949年生まれの現在64歳、リリースしたアルバムは1969年のデビューから70枚を超えるようで、まさしくギリシャのフランク・ザッパ。音楽性は全く異なるもこれだけアルバムを出していても駄作がないのと顔の長さは同じくらいか。

ギリシャのブルースともいわれる「レンベーティカ」のリバイバルに貢献したり、ハリス・アレクシーウとの共演アルバムで注目を浴び、アテネオリンピックスタジアム でのコンサートでは16万人を動員したといいますから嵐なみです。

コート・ジヴォワール

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昔でいうところの象牙海岸、英語で言えばアイヴォリー・コースト、今では各国とも、現政権の要請で各国語に翻訳した国名ではなく、フランス語表記を用いるようです。

ここで豊かな文化的伝統を持つ国であるにもかかわらずポピュラー音楽が育たなかったと紹介しましたが、アフリカにしては珍しく民族主義的な過激路線に走ることなく,つい最近までは政治的にも経済的にも安定していましたから、ザイール(現コンゴ)などからミュージシャンが集まるようになり、特に旧首都アビジャンはアフリカ音楽産業の中心地となりました。

このファンタスティック・チコはコンゴ出身のリンガラ歌手でコート・ジヴォワールにやってきたのが1979年。アビジャンのレコード・レーベル、マイカノから発売された”la voix d’or  l’Afrique”、日本でのリイシューが1984年ですから、当地では1980年頃の発売でしょうか。高層ビルの建ち並ぶアビジャンのこれがアフリカかと思わせるほど都会化された町並みもビル街を少し外れると庶民の活気あふれる歓楽街が連なり、アビジャン・リンガラがそこらかしこから流れてきていたあの当時の活気は今でも続いているのでしょうか。

こういうしなやかなグルーブを聴いていると、例えば日本人がどう束になっても敵わないファンキネスっていうのがあって、それは今日の試合中にも感じた部分で、やっぱし、かなわないな−、まだまだだよなー(-_-)

 

バイーア

あと数時間で日本-コート・ジヴォワール戦です。

この試合が行われるのがRecife、報道などでは「レシフェ」と読んでいますが、ポルトガル語では単語の頭にRが来る場合、ハヒフヘホの発音になるという原則からすると、ヘスィーフィ。ついでにリオ・デジャネイロはヒオ・ジ・ジャネイロ。

このヘスィーフィ、ペルナンブーコ州の州都でもあり、ブラジル北東部ではサルヴァドールの次に大きい都市だそうです。この「ブラジル北東部」が今回のキーワードで、ブラジル語で北東部、ノルデスチ、英語で言えばノース・イースト、日本でいう「東北」が持つイメージとは違って南半球では反対になるから、より赤道に接近し高温多湿の熱帯雨林が拡がるということになります。

で、このノルデスチが育んだ音楽がブラジル音楽の大きな2本柱の一つを担う存在で、もう一本はいうまでもなくリオの「サンバ」、実際多くのタレントを輩出してきました。ヘスィーフィがあるペルナンブーコ州など7つの小さな州をまとめて「北東部」と称し、そのすぐ南側に接しているのがバイーア州で写真のアルバムタイトル”A Musica do  Nordeste e Bahia”とは、まさにこの「北東部とバイーア」の音楽という意味です。

地図で見ればわかるように、ヘスィーフィやサルヴァドールは大西洋に面して、古くからポルトガルとの交易の中心地と栄え、大西洋を挟んでアフリカ西岸に位置するということで過去には奴隷貿易の中継地としても多くのアフリカからの奴隷が運び込まれた悲しい歴史もありました。これはアメリカでいえばニュー・オーリンズにあたるわけで、そういえば今回W杯に11人を輩出したリバプールの本拠地もイギリスにおける奴隷貿易を担った都市でした、アフリカから連れてこられた黒人たちが港町からさらに奥地へと拡散され、それぞれの独自のアフロ文化を形成していく、まさにブルーズからJazzへと発展していった同じ過程がブラジルでも生じたといえるようです。

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収録アーティストは、ドリヴァル・カイーミをはじめ、ジョアン・ジルベルト、エドゥ・ローボ、マリア・ベターニア、ガル・コスタ、ジルベルト・ジルそして今世紀最高の音楽家カエターノ・ヴェローゾなど、「ブラジル音楽全集」という3枚組LPの3セットシリーズとして発売、3組全部揃えることは出来なかったのですが、悩みに悩んで2セットに絞り購入したのを覚えています。

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Googl地図

2014 FIFA World Cup™ Mexico-Cameroon

いよいよ開幕しました、2014 FIFA World Cup™。まずはTV観戦しました、メキシコ-カメルーン戦。個人的にはカメルーン推しなんですが。

で、両国を代表してリンダ・ロンシュタットとマヌ・ディバンゴを。

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このドイツ風の名前を持つ若い娘が一世を風靡したのは1970年代でした。あのミック・ジャガーに”Tumbling Dice”を書かせたのが彼女って説もあるみたいですが、真相は。

実は、彼女、出自としてメキシコの血を受け継ぎ、自己のルーツを探求すべく1987年に出したアルバムがコレです。”Canciones de mi Padre”とは「私の父の歌」という意味で、マリアッチバルガスに裏打ちされた古典的な「ランチェラ」の歌を、アレンジャー、コンポーザーとして経験豊富なルーベン·フエンテスのプロデュースのもと、彼女のメキシコの遺産に敬意を表しつつ歌い上げています。リンダ·ロンシュタットの驚くべき美しさのマリアッチ – ランチェラスタイルのアルバムをさあ、あなたのもとに。

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日本が対戦するコート・ジヴォワールは豊かな伝統文化に恵まれているにもかかわらず、独自のポピュラー音楽を発展させることはありませんでした。アビジャンは音楽産業の中心都市なんですけどね。

カメルーンはギネア湾の一番奥に、ナイジェリアとコンゴに挟まれるように位置し、この2大音楽大国ほどではないにしてもイギリスとフランスに分割統治されていたという歴史から、パリやロンドンに進出するミュージシャンも多く、このマヌもその一人でした。同じサックス吹きでも隣国のフェラ・アニクラポ・クティほど過激ではなく、キューバとかカリブ海の音楽の方に親和性があるかも。

高年齢者、障がい者雇用状況報告

高年齢者雇用に関する届出
高年齢者雇用状況報告
事業主は、毎年6月1日現在の高年齢者の雇用に関する状況(高年齢者雇用状況報告)をハローワークに報告する必要があります。(高年齢者雇用安定法52条第1項)
毎年報告時期になりますと、ハローワークから事業所に報告用紙が送付されますので、必要事項を記載の上で7月15日までに返信しなければなりません。電子申請 によって報告することもできます。

この手続は、「電子署名省略可能な手続一覧」には記載されていないのですが、以下、連合会サイトからの転記です。

「高年齢者および障がい者の雇用状況報告については、郵送または持参による提出のほか、電子申請により行うことができます。このたび、厚生労働省より当該報告にかかる電子申請の利用について周知依頼がありました。つきましては、申請手順等の詳細は下記ページに案内されておりますので、この機会にぜひ電子申請をご利用ください。なお、社労士が事業主に代わって当該報告を電子申請により行う場合は、事業主あてに送付された「ユーザID」と「パスワード」を入力することで申請が可能です。」

ハローワークより送付される高年齢者、障害者雇用状況報告の封筒の中には「提出方法のご案内」という書面が入っています。そこに「ユーザID」と「パスワード」が記載されていますので、「申請者・届出者に関する情報」の「提出先の選択」(ハローワークを選ぶところ)の下方欄に英数半角で入力します。

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報告義務のある事業主の規模は、障がい者雇用状況報告には除外率適用後の常用労働者50人以上と明記されているのですが、高年齢者雇用状況報告には特に記載されていません。常用労働者41人の事業所にも送付されてきたので「?」と思ったのですが、厚労省のサイトを検索したところ、高年齢者雇用状況報告は「従業員30人以上規模」とありました。

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6月9日でロックの日だそうですw

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これは去年観た映画では間違いなくNo.1であった「サウンド・シティ-リアル・トゥ・リール」のサウンドトラックです。

ニール・ヤングの『アフター・ザ・ゴールドラッシュ』、ドクター・ジョンの『ガンボ』、フリートウッド・マックの『フリートウッド・マック』やトム・ペティ・アンド・ザ・ハートブレイカーズの『ダム・ザ・トーピードーズ』などの伝説的なアルバムがレコーディングされたスタジオとして有名なこのSound City Studioもデジタル化の波に押されて閉鎖の憂き目に。Never Mindをこのスタジオで製作したニルヴァーナのドラマーであり、後のフー・ファイターズのフロント・マン、デイヴ・グロールがこのスタジオのコンソール、ニーブ80の購入では飽き足らず、自宅のスタジオにその機材を移設し、Sound Cityに所縁のあるアーティスト達を呼んで新曲を録音、監督まで務めました。

ポール・マッカートニーとニルヴァーナの共演という、ああ、ビートルズもハンブルグ時代はグランジだったのね、と思い起こさせる一シーンなんかもあって、ロックが一番輝いていたころロックはどう作られ、それがどう衰退していくのか、一つの文明論になっているように思えます。