コロンビア

キューバ音楽の亜種としてのNYサルサが隆盛を極めた70年代、さらに空間的にも精神的にも拡散をし始めた80年代、プエルトリカンが支えたラティーノのアイデンティティは南米各地に飛び火していく。その着火点の一つがコロンビア・サルサの中心地カリで、まずは最強の布陣で統制の取れたサルサ・バンド、グルーポ・ニーチェに続いて、「ジョエ」こと、ジョー・アロージョがカリブ海に面した都市、カタルへルナから「ソン・カリベーニョ」を引っさげて登場、瞬く間に当時の人気ナンバー・ワン歌手に登りつめました。

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そのころは新大久保にもサルサが踊れるバーがひしめき、胸元を大きく開けたラティーノたちが闊歩して、ここは「ブロンクスか!」ってくらいのものでした。アルベルト・バレスが82年に結成したロス・ティタネスもそんなバーの片隅で見つけたんだったら格好いいんだけど、残念ながらそのころサルサのレコードは、ほとんど池袋のWAVEの中二階、Worldミュージック・コーナーで入手していました。

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彼らの音楽やダンスのリズムはキューバ由来のクラーベが通奏低音として支えています。サッカーのドリブルのリズム、フェイントのステップの軽やかさもこんなところから来てるのかも。こればっかは我々「エンヤトット日本人」には乗り越えようとしても乗り越えられない障壁で、コロンビアの攻撃陣を封じるためにはマヤ君もオープン・ブレイクで彼女を心地よく回せるくらいじゃないとねっ。

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